山蚕(天蚕)にまつわるお話
ある方の依頼で、天蚕の生地を織ることになった。この方は越中新川郡の在である。天蚕飼育を30年程、本業とは別に手掛けてきたらしい。自宅から7~8キロにある里山に飼育場所を定めてきたが、5年ほど前に飼育から手を引いたということです。天蚕飼育範囲は昭和初期には長野・茨木・栃木・埼玉・富山と名が挙がっているのだから、富山で飼育がおこなわれていても不思議はない、ゆっくり天蚕のお話を伺いたい。その方が飼育時の名残の天蚕繭が手元に残っていて、繭を製糸をしてもらったり、出がら(繭から蛹が出たもの)を緯糸にしてもらったり、そして自分の記録に残そうと、自身で使える布を織っていただいたそうである。その生地を見せていただいた。経糸は家蚕・緯糸は製糸した天蚕糸と天蚕の出がらを曳いたものだろう。丁寧な単純な平織の仕事も見事だった。自分も天蚕の織の仕事を長くしているが、このような素直な天蚕の仕事に出会ったことは珍しい。多分相当に卓越した糸のセンスと、織の技術を持った人が手掛けた仕事だろう。
なぜこの天蚕の布に興味を持ったかと言うと、遠い記憶に名は忘れてしまったが、古い箱の中に全国の織の産地の布が一枚づつ台紙に張った資料が入っていた、このようなものを画帖と教えていただいた。その中の一枚に備前の天蚕生地があり、糸は茨木だか栃木、そして織は備前とあった。その布の持った雰囲気によく似ていると思い出したのだ、ただ記憶は確かではないが・・・。 つづく