総天蚕の紬織着物

古い話になるが、総天蚕の紬織物は数点織ったことがある。しかし、天蚕の持っている素晴らしさを十分に引き出せたかと言うと、なかなかそうではなかったようだ。天蚕に長い間たずさわってきたこともあるが、ようやく全容が理解できてきたということか。しかし長い時だったのではないか・・・、いろいろの要因はあるのだが。この仕事場では先代より天蚕は身近なものだった。小さな頃から親の自転車の荷台のカゴにのって有明の地まで出かけたことは何回も覚えている。ただそれが天蚕を求めて出かけたのだとは、もちろん知らなかったが。物心がつく頃には、いろんな人が繭袋に天蚕の繭や糸や手屑を詰め込んだものをもって仕事場にきていた記憶はある。長じて気が付けば織物の仕事をしていたと言うことか。


天蚕糸は俗称「絹のダイヤモンド」と言われる。しかし何がダイヤモンドなのだろか。このコピーはよく理解しがたい。何がダイヤなのだろうか、ダイヤは高価そして天蚕も高価だから絹のダイヤモンドなのだろうか・・・。ダイヤはあの岩石から光り輝くカットを模索し、それを研磨して最高のものに仕上げる技術が必要である。天蚕も天蚕糸だけではなんの意味もないのだ。この素材を使い、天蚕の持つ素材の良さを十分に見極め仕上げてこそ、絹のダイヤモンドになるのだろう。


・・・この続編は次回に
















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