山蚕(天蚕)にかかわるつづきのお話

 

                    飼育林で使われた鳥避けの鐘

かつての天蚕飼育林に到着。車を降りて舩見さんが先ずしたことは、クマよけの爆竹だった・・・。                                       舩見さんはなぜ天蚕の飼育に興味を持たれたのだろう。生い立ちについてのお話は伺ったことはないが、一つ大事な要因は幼少の頃より里山に興味があり、そこで長い時間過ごすことがことのほか好きだったようだ。1978年当時「アサヒグラフ」(2000年休刊)に有明(長野県)の天蚕に関する記事が載っていたのを見て、その内容に大変興味を持ったことがあった。時は過ぎ1980年代に富山県の出先機関職員が天蚕飼育の話を持ってきた。その話を聞いているうちに、かつて「アサヒグラフ」で見た天蚕記事のことと気が付いた。自分は養蚕農家でもないのだが、なぜか大変に興味を持ってしまった。その時、天蚕飼育に興味を待った人が十二、三人程はあったようだった。この頃、全国各地で天蚕飼育の話があった。 

                  舩見さんと鐘

しかし、今この現場を見た時この場所では大変な苦労で始まったことは想像できる。自然林に近い環境だった。人は何と思ったことか。この場所での飼育環境が軌道に乗るまでは、かなりの年数がかかったことだろう。その時には地元では天蚕飼育の方法を知る人は無く、いろんな方を訪ね、先進地信州有明の長野県産業試験場有明天蚕試験地を訪ねたり、天蚕飼育者を訪ねたり、と知識を集めたようだ。天蚕の食糧にはクヌギが良いことを知り植林も始めた、30年間にわたる飼育には天蚕飼育者が一度は思い知らされる鳥・虫の害、病気、天候不順、一度は食料の木々の葉よりも幼虫の量が多く、成長するにつれ食べ物がなくなってしまうということもあり、生き物相手の苦労を重ねてきたことだろう。

                    ナラの林

しかし、それを支え続けたのは大好きな里山が長じても、里山に対する敬意と自然の楽しさと恐ろしさが支えだったのではないか。舩見さんの心情はいかがだったのだろうか。

そんなことで30年近くつづけた天蚕飼育を数年前に終わりにした。今もその里山に入り、人と自然環境との対話を続けている。                          有明のクヌギ林天蚕飼育家の古田さんご夫妻にもお世話になったと、是非一度立山にご一緒してくださいと伝言があった。

                かつての天蚕飼育林で


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